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大学院生の日記
by eroyama-blog
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残余と情報処理では賄えないもの

情報の処理時代はある種の終わりを見た気がする。
PDCAをまわすこと、仮説 検証を繰り返すことは、それはもちろんだ。
しさし、その事自体をこなすことには、新たなる創造性は生まれない。

そんな楽なら、公教育にすべて経営学やロジカルシンキングの授業を入れればいいだけのこと。それが早いなら大学でも構わない。
大学側と企業がタッグをくんで資金とアイデア・ノウハウを交換条件にすればよい。
それによって、安定な雇用と、ビジネスに直結する能力も身に付き、学生側も企業側もメリットがあるだろう。
もちろん直接には生きないが、今よりは断然マシだ。

だが、みんながコンサルタントや評論家になってもらっても困るわけだ。
多様な業種、業界に通じるコンサルタントや評論家は必ず必要だ。
需要がなくなるわけもない。むしろ、複雑化し、高度に分化した社会には必ず、そういったブリッジを担う役割は必要になってくる。

だが、創造性はそんなブリッジを担う人間だけでは上手くいかない。
アインシュタインの相対論、ハイゼンベルグの不確実性、グラフ理論における諸理論、スケールフリー、スモールワールド、これらすべては原理的な学的な追求による功績である。これらには一切の商売は絡んでいない。もちろん間接的には絡んでいる。
そう、基礎研究においては、必ずしも、利益追求とか企業の論理が絡むわけではない。
多様な遊びや失敗、試行錯誤の積み重ねが、じっくりと取り組んだ基礎研究こそが、これれを生み出した。そこに必然性はあるのか。否、無い。これは偶然である。
ただ、偶然をひきよせるのはなにか。それは徹底低なコミットメントの末に見えてくるものではないかと思う。

現代の情報社会、ある程度のことは、素人でも「分かる」ようになってしまった。「理解」をしているわけではない。ただ端的に分かるのだ。
創造したわけではない。ここには、あまりにもショートカットがある。それがイケナイわけではない。要は、どんなに情報処理が上手になっても、それで賄えない、ショートカットできない部分があるからだ。
その部分を誰がどのように担うかを冷静に社会全体で認識すべきである。

皆がサラリーマンになってもしょうがないだろう。そういった部分はきちんとまかせるといった度量の深さを、この社会には期待したい。
排除ではなく、包摂とはそのことだろう。
ITとかコンサルとかに踊らされる時代はもう終わりだ。
マネジメントだの、コミュニケーションだのといった言葉尻であしらうな!!
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by eroyama-blog | 2008-07-22 02:18
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